トークイベント バロン吉元/寺田克也 ゲスト:都築響一氏
司会:エ☆ミリー吉元 4月8日(土)19時~22時頃
麗らかな春の日、たくさんのお客様にお越しただき、
時間も大幅に延長、ユニークな質問も飛び出し、笑いあり笑いありの、
アート談義からキャバレー話、バイト話等々~楽しいトークショーとなりました。
まず、バロン先生、寺田先生のトークですから始まりました。
エ☆ミリー吉元
「皆さまこんにちは!本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。
バッテラ展は、バロン吉元のバと、寺田先生の、テラ・・で、バッテラというだけではなくて、
ポルトガル語で、小舟という意味があります。
今回は公開制作を通じて、二人の小舟がどう進んでいくのか、
私自身が見てみたいという思いで企画を致しました。」
バロン吉元
「みなさん、こんにちは!バロン吉元でございます。」
寺田克也先生
「寺田克也でございます」
バロン先生
「私が寺田克也という名前を始めてみたのは、「西遊奇伝大猿王」という本が出たときなんだけれど、
これがね、もぉ~こんなマンガを描く日本人がいたんだとびっくりしました。
運命的な出会いって言うのがあるんですね。その時からいつか会えるんじゃないかなっていう予感があったんです。
で、その次、第二巻がいつ出るんかなと、、待てど暮らせど出ない、一応、3年くらい待ちました。
それでも出ない、、それでねついに数年後、京都のマンガミュージアムで出会ったんですよ。
その時も「西遊奇伝大猿王」を観たときと同じ感動を受けまして、売られていた画集を片っ端から買ってね。
で、中野ブロードウエイでやってた個展に行ってね、ライブドローイングもやってるって聞いてね
彼がドローイングをやってる所に行ったんです。
そしたら、線があってね、こっから入っちゃいけないのかなと思いながら
でもせっかくきちゃったからね、でね、私はバロン吉元ですって言ったらね、
びっくりしたみたいで・・・」
寺田克也先生
「ちがいますよ。あの、無言で入ってきたんです。
テンガロンハットかぶった人が、
やぁやぁやぁやぁ~って言いながら、いきなり入ってきたんです。
私、顔を存じ上げていなかったので、思わず押しとどめようとしたんです。
そこに線があるんで、向こうで観て下さいねって言って・・
バロン先生
「ホント?!」
寺田克也先生
「そうです、で、ごめんね、って言いながら下がっていったんです。
で、頂いた名刺に、私はこういうものですって、それで、バロンさんだと。」
バロン先生 「思い出した!やっぱり運命的な出会いだったね。」
寺田先生 「やっと会えたね。」 (爆笑)
寺田先生
「仕事を始めて33年くらいになるんですけれど。いろんな影響があって、
オレ、ホントに小学生の頃からバロン吉元のマンガを読んでいて絵が飛びぬけて好きだったんですね。
絵的には、相当影響を頂いていて、今、お話しを伺っていて、
自分がなぜバロンさんの絵が好きだったのかというルーツが垣間見えて、凄い面白かったです。
マンガだけじゃない。それがささってる。」
エ☆ミリー
「凄く今ビックリしています。私。ていうのも、何でこんなに和気あいあいとしているのかを
私は想像していなかったので、っていうのも、3月の25日に第一回目の公開制作がありまして
お互いに描いて頂いたのですが、その頃の空気のピリピリ感たるや・・
予定は2時間ほどをと思っていたのですが、
「バロンさんいくんだったら、俺まだいきますよ。」
「じゃ、寺田さんやるんだったら、オレやるよ。」 って、ピリピリした雰囲気だったんですけれど、
寺田先生
「ピリピリしてないしてない。」笑
エミ☆ミリー
「じゃ、そういう事で、都築響一さんをお呼び致します。」
ゲストの都築響一さんがご登壇されました!
「何から話せば、寺田先生は今日が初対面だし、バロンさんとは東京ワンダーサイトで、トークをさせてもらったんですが、
バロン吉元っていう存在を支えた、若かりし頃の暴れん坊下半身についてのお話を聞いたところ
ご家族から、待ったがかかりまして、いやぁ、よろしくお願い致します。」
(全員) 「よろしく~~」
バロン先生
「都築響一さんっていうとね、オレはあっちの方を~」
都築響一氏
「あっちってどこですか?」
バロン先生
「こっちじゃない方、女性に関してのオーソリティ。」
都築氏
「今でも銀座で飲んでいらっしゃいますからね、バロン先生、現役感が凄いなと思うんですけれど。
やっぱり綺麗な女の人が居る所がいいんですか。」
バロン先生
「それが習慣だなぁ。ちょっとした非現実を求めていくんだよ。、現実的な所じゃなくてね、
あの、石川啄木が芸者と遊ぶ時に、なぜあなたはそういう所に行くんですかという質問に対して、
私は嘘をつきにいくんです、って言ったんです。
これは俺に言ってるんじゃないかと。ウソをつきにいくとね、まわりもどんどんノッテくるんだよ。
こっちは、ないことないことないこと、・・・
寺田先生
「具体的に?」
バロン先生
「あの~ちょっと手術の帰りだよ~とか、ね、また翌日はトラックの運転手になるんだよ、
寺田先生
「えっ?!」
都築氏
「やっぱりこう、観音様みたいな、女性というか存在感がバロンさんにとっては一番・・・
バロン先生
そう、都築さんみたいな人を見るとね、観音様が見えるんですよ。寺田さん観るとね~
寺田先生
「天女?」
都築氏
「以前空山さんたちと展覧会やられて、今回、バロンさんとという事でずいぶんギャップがありますよね。」
寺田先生
「声かけて頂いてホント、すっごい嬉しかったです。根っこはマンガ家に魂があるので、
すっごい光栄だなと思いました。」
エ☆ミリー
都築氏
「先ほどバロンさんが、マンガを描いて、単体の絵を描いて、気持ちが良くなって
またマンガを描くというのが凄く納得できますね。
ちなみにバロン先生における銀座のようなですね、リラックスできる存在っていうのは無いんですか。
寺田先生
「僕は無いんですね。たまに何年かに一回、凄い辺境に行くとか・・・エベレストのふもとにいくとか・・
バロン先生
「スケールがデカいよ。オンナいねえだろ」
寺田先生
「オンナはいないですよ。でも山は女ですからね。・・・と、夢枕獏が言ってました。」
都築氏
「聞いてる皆さんにとっては、銀座でウソつかれるよりは、エベレストの方が分かりやすいですね。
銀座でウソは高度なテクニックが必要ですからね。」」
エ☆ミリー
「それで、私小さい頃から、父を観ていて、漫画家=銀座みたいに思ってました。」
バロン先生
「美しい女性がいないところで飲むのは、堅苦しくていやなんだよ。
飲めないんだけど、飲み方にはこだわりがあって、ウィスキーをショットグラスでね。
寺田先生
「めっちゃ、飲めるじゃないですか。
バロン先生
「蒸発するのを待っている。」
一同、えぇーっ!
都築氏
「寺田先生も次は銀座ですね。」
寺田先生
「そうですね。蒸発しに行きます。」
バロン先生
「私はね、飲んだら踊る、踊ったら飲むのくりかえしなんですよ。
寺田先生
「ダンサーですからね。」
都築氏
「絵の話はもういいですよね。」
寺田先生
「ボーイの話とかね。」
バロン先生
「のせるなぁ、」
寺田先生
「すぐにノッテくれるから。17歳シリーズに書いてますものね。」
都築氏
「ふつう、ベテランの話って苦労話しが多いけれど、褒められた話ばかりで」
寺田先生
「褒められて伸びるタイプ。」
※お客様からの質疑応答
「寺田さんとバロンさんの今後の夢というか目標は何ですか?
寺田先生
「夢は別にないですけれど、今、今までやったことの無いような仕事が入ってきてですね、
それをうまく終わるといいなぁっていうのが夢です。頑張ります。
バロン先生
「今の延長で、どんどん発展させて、いろんな会場でやってみたいなという希望がありますね。」
寺田先生
「壁に描いたらいい。」
バロン先生
「俺も落書きを壁に描こうかな。ふたりで端から描いていってね。出会うって言うね。」
寺田先生
「いいですね、恩讐の彼方に。。。」
※お客様からのご質問
「寺田さんが特に印象に残っているバロン先生のマンガを教えてください。
寺田先生
「タイトルを忘れたんだけれど、南の島にきた零戦乗りがですね、そこで凄いのんびり過ごしているんだけど、
やたらスゴ腕みたいな、短編があって、それが凄い好きだったんですよ。カッコよくて凄い読んでいたんですよ。
バロン先生
「短編を描いているうちに長編が生まれることもあるんだよね。こういう短編は、資料になるなぁとか、ね、
そういうふうに思うようになってから、仕事が来なくなりましたね。
寺田先生
「あれれ、俺もそう思います。」
都築先生
「そういわれると、一枚絵は、好きな時に好きに描けるけど、
マンガっていうのは、依頼がないと描けないものですかね。」
バロン先生 寺田先生
「描けないね。」 「俺も描いた事ないですね。」
※お客様からのご質問
「僕は今、高校生なんですけれど、お二方は将来の夢に対して、どんな行動を起こしていたか、心がけていらしたか。」
バロン先生
「僕はね、中学校を卒業したころから就職したかった。親に言ったら、高校行けって言われて、のんきに過ごしていたら、
高校行くのに受験があるっていうのが分かった。急に。
私は近くにある高校に自動的に行けるもんだと思っていた。
だからね、オレ不思議に思ってたんだよ。中学3年の半ばころから、みんな私と遊ばなくなったんだよね。
5分間の休みも教室から出てこないんですよ。
私は窓を飛び越えてるのに中学校3年、誰も遊んでくれない。その時は孤独だったね。
寺田先生
「凄いすごいなぁ~マンガの主人公みたいだなぁ。叶わないですねェ。」
バロン先生
「いやぁ、もぉびっくりして、むちゃくちゃ勉強しましたよ。あわててあわてて。
おかげさんでギリギリに高校に受かることができました。
人間ね、本気になればね、やれるもんだなと。まぁね、私はそういう事なんですよ。
エ☆ミリー
「参考にならないですね~」
都築氏
「夢に向かって羽ばたこうとする高校生には、出鼻をくじくような、いやいやいや・・・」
バロン先生
「でもね、絵は描いてた。小説の挿絵を描いていた。
でも挿絵画家になれるとも思っていなかった。
で、劇画ブームっていうのが、関西からどーっと来た時にね、
ちょうど、フランスのね、ヌーベルバーグが全盛の頃ですよ、
それと同じ時期に、関西から劇画の波がどっときてね
今、この波に乗らなくてはいけないんじゃないかなと、決意して
西洋画を習っていたんだけど、ポーンと捨てましたね。捨てたというよりも、退学させられた。」
寺田先生
「俺は物心ついたころから絵を描いて生活していきたかったんですよね。
両親が食べさせてくれたので、俺が働かなくてはいけないっていう
そういう事を微塵も感じさせないで育てて頂いたので、
なんかこう好きな事すればいいみたいな、で、結局絵が好きだから、みんなが褒めるし、
じゃ絵だなと、凄い短絡的に、誰も止めなかったんで、結果的に描いていて、部活とかも全然やんなくて、
ただただ描いていて、オレ勉強は好きじゃなかったんで。
岡山工業高校にデザイン科があったんですよ。
3年間半分絵が描けるみたいな、そっち、無理矢理入れてもらって、そっからもう、ずっと。」
都築氏
「初志貫徹って感じですね。ちなみに僕も編集者になろうと思ったわけじゃなくて、
大学に行ってて、バイトで編集部に入ってお茶くみやったり原稿取りとかしているうちに、
原稿を書かされるようになってって感じで、まったく思いもしなかったですね。
だから寺田さんのようにちゃんと好きな事があって、それをずっとやっている人もいれば、
偶然にね、道が決まってしまう事もあるんですよね。その時に,、運に飛びこめるかどうか。」
エ☆ミリー
「お互いの公開制作の作品について何か・・」
バロン先生
「寺田先生、俺に合わせてくれているんじゃない?」
寺田先生
「実はそうなんです。バロンさんが大きい顔をこちら向きに描かれたんで、
俺もこちらを向いているように描きました。
都築氏
「買う人は2枚一緒にですね。
寺田先生
「その通りです。」
エ☆ミリー
「寺田先生は直前までフランスに行ってらして、その間、寺田さんが手を加えていないのに
俺が描くわけにいかないなとか言いながら、描きたい描きたいって家で・・・」
バロン先生・寺田先生
「明日公開制作ありますので、ぜひお越しください。よろしくお願いします。」
終了後、皆さんとハイパチリ。(許可を頂いています