寒い日の畳はコンクリートのように冷たく固く、投げられて受け身をするたび手足が
しびれ、汗のかわりに涙が飛び散ります。やがて、すっかり夜が明けて一般の生徒た
ちがちらほら登校してくる頃、その日の寒稽古は終ります。アンモニア臭い柔道衣を
脱ぎ、汗を拭いて生徒服に着替え、朝もやの晴れた校庭に出ると体の芯からの温も
りと混ざりあってなんとも形容しがたい解放感が喉元まで突上げてきます。登校してく
る生徒たちがなにやらちっぽけにみえて、急に偉くなったような気さえしてきます。
柔道を習ってよかった、寒稽古は最高だ、と思うのはこの一時だけ、明日になるとまた
柔道を呪うのです。

 こうして一週間後、寒稽古の全日程が終了し,
いよいよ待望の鏡開きが行なわれる時がきま
した。家庭科教室の座敷には空きっ腹をかかえ
た黒帯組の部員たちが、ゼンザイが来るのを今
か今かと待っており、隣の料理室では特大鍋が
甘い匂いを含んだ湯気をもうもうとあげて、その
周りを取り巻いている連中の生唾を盛んに煽っ
ています。私もその中のひとりでした。甘い物に
飢えていた私は、この日こそ誰よりも多く腹いっ
ぱい食べてやろうと箸とお椀を握りしめて待機し
ています。少なくとも自分の持ち寄った餅と小豆
と砂糖の分だけは腹に納めないと損です。
 それにしても黒帯組の落ち着きようはどうだろう。
もうすぐゼンザイが出来上がるというのに座敷で
ゆうゆうとしています。ゼンザイを食べるのに順
序などありません。先輩も後輩もなく、おかわり
自由、食った者が勝ちなのです。ぐずぐずしてい
たら食いはぐれてしまいかねません。なのにさす
がは鍛えられた奥ゆかしい黒帯組、見上げた思
い遣りの精神です。

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