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内覧会

 「バロン吉元/寺田克也 bateira」お互いの作品の前で





挨拶をする「bateira」キュレーターの、エ☆ミリー吉元



皆さま、こんにちは!本日はありがとうございます!
昨日、寺田先生の作品の搬入をしたのですが、
先生が梱包を開いて作品の掛け軸を並べて下さった時に
あぁ、ついに明日から始まるのだと思い、
このこみ上げる気持ちを寺田先生にぶつけるわけにもいかないと思い、
目をそらしたら、こちらには、父の作品があって、大変な思いになったわけなのですが、
今回バッテラ展という事で、父の絵と寺田克也先生の絵を、一緒に飾ることを企画致しました。
私は生まれたのが90年代でしたので、物心ついたころには、
父はマンガ家としてよりも、画業の方のウエイトが重くなってきていました。
私が中学生の頃、放課後は図書館で画集を漁るのが趣味だったのですが、
自分が良いと思った漫画家であったり画家であったりする方の画集を借りては、
家に持ち帰り、父に見せて、この人どう思う、って尋ね、
父が結構、辛口に、こりゃデッサンが狂ってるね~とか、色彩はこうだねとか、
また反対に素晴らしいねとか、そういう感想を聞きながら、
父の好みであったり、美的センスを図るのが楽しみでもありました。
そんな時に、私は寺田克也先生の画集を見つけた時がありました。
その時に、凄くびっくりしたのです。。
私は自分の父親が、こういう絵を描いているということに
戸惑っていたけれど、誇りでもありました。
ただ、寺田先生の画集を見た時には、やばい、
これは父に見せてはいけないと思い、父には見せずに返しました。
そのころから私の寺田克也先生への思いというようなものが出発しておりました。
で、昨年寺田先生が中野で展示をされていた時に、父と見にいったんです。
その時に父がポロっと、「寺田さんの作品の横に俺の絵を飾ったら、
どうみられるんだろうなぁと、この感じで、言ったんです。
私はびっくりして、っていうのも、父は皆さんもご存知かもしれないのですが
常にゴーイングマイウエイで、わき目も振らずに突き進んでいくという印象だったのですが
そんな父がわき目をちらっとみた。
はっきり言ってそんな言動を今まで聞いたことがありませんでした。
父の作品を寺田先生の作品と同時に飾ってみたいという、そんな思いが生まれたきっかけです。
今回「バッテラ」の意味は、バロン吉元の「バ」、寺田克也先生の「テラ」で、バッテラ、
ポルトガル語で「小舟」という意味がございます。
この小舟には私は乗っておりません。
私の望みと致しましては、寺田先生と父に小舟に乗っていただいて
私はそれを、ちらっと放流して、どういう方向に行くのか、それを観たい、
だから、公開制作のスペースを今回設けました。
皆さま、ありがとうございます。
そして、今回、小舟と言いつつも、壮大な船を提供してくださり、、
企画を私に与えて下さった、アツコバルーのスタッフの皆様
マネージャーの渚さん、ありがとうございました。



バロン吉元先生のご挨拶



俺はもう、皆さんをはじめ、もうね、感謝するしかないんだよ。
寺田「そうですね、その通り!」
感謝感激雨あられ・・でね、ここに白いキャンバスがあるけど
ちょっとだけね、我々が下絵を描くところを見て頂きたいと思いまして・・・
私ね、こういうね、白いね、こういう大きなキャンバスだけじゃなくてね、
マンガ原稿もそうなんだけどね、白い何も書かれていないものを見るとね、怖いんだよね。
描く気がしないの。ウワァッてなんかね、はじかれるようなね、変な気持ちになるんだよね。
これ描くのかよ~っていうね、そういう気持ちが常に湧いてくるんだよ。
これね、私の中にね、抵抗っていうのがあるんですよ。
これをやらなきゃいけないって言うものに限ってね、
お前そんな事やんなよ~ってね、もう一人の自分がいてね、こういわれる。
そしたらね、何をやるか、いまちょっとね、私が・・・
やってみます!
寺田「え、もうこれからっ?




サインを描くんだよ!サインから始めるんだよ。
寺田「衝撃!衝撃!!」
そうするとね、責任が生じる。ある意味ではね、ちょっと大げさだけれど恐怖と対面しているようなね、
怖くなってくる・・という事で、寺田さんにタッチします。


寺田克也先生のご挨拶




あの、今日はありがとうございます!寺田です。
あのですね、あれですよ、それこそ、先ほどの中野ブロードウエイという所の
ヒダリジンガロというギャラリーがありまして、そこで個展をやらせて頂いてたんですけれど、
公開制作をやってたんですよ。で、入り口にガムテープを貼っていて
こっからこちらには入らないでくださいって、で、そのスペースの奥で僕が絵を描いていて、
お客さんは、線のこちら側で観ているという形をとらせてもらったんですけれど、
その日も行って、描こうかなと思っていたら、なぜか、テンガロンハットをかぶった人がですね、
突然、線を越えて入ってきたんですね。やぁやぁって感じで、
一瞬追い返そうとしましたら、あぁすいませんすいませんって言って
名刺を頂いたら、バロン吉元って書いてあって、もう、バロン吉元って言えば
私の中でもずっとね、「柔侠伝」でもあり、「黒い鷲」とか読んでましてね、「零戦王」とか凄い読んでたんです。
何よりもバロンさんの絵っていうのは、当時から日本人離れしていて、
子供心に画風がちょっと違うなと受け止めていて
特別な存在ではあったのです。しかも名前がバロン・・・
でも実際にお会いするのはその時が初めてで、で、、一緒に絵が描きたいんだというお話をされた時に
そんな光栄な話はないので、じゃぜひぜひお願いしますという事で、今回につながりました。
でもこうやって、マンガのひとつの歴史の中にご一緒させて頂いて感激しております。
ありがとうございます!で、そうわけで、私もなんか描かなきゃいけないのかな・・・
一緒に描きますので・・・

じゃ、いってみようか~というバロンの掛け声で、


公開制作がスタートしました!





お互いの作品をのぞいたり、緊張の中にも和やかな雰囲気が印象的でした。









ありがとうございました!


物販コーナー





バッテラ展限定の記念Tシャツ



「バツ」はバロン先生、「テラ」は寺田先生による文字



大評判だったカクテルと寺田先生デザインのラベルの日本酒です。ありがとうございました。