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「バロン吉元脈脈脈」 トーク・イベント バロンの解剖学会

4回にわたって行われましたトークショーは、すべて満員御礼、お客様の関心も深く
企画者のエ☆ミリー吉元も知りえないようなびっくりするようなエピソードが飛び出したり
笑いあり、大爆笑あり、脱線に次ぐ脱線・・・とおおいに盛り上がりました。

和やかな中にも今後につながる大きな発見のぎっしりとつまったトークショー!
これからも少しずつアップしていきますのでお楽しみに!


荒俣宏氏(作家/博物学者)×バロン吉元 3月3日19:00  聞き手:エ☆ミリー吉元

荒俣先生は、バロン先生のウエスタンに負けないように、菅原文太さんの形見の洋服をお召しになられてのご登壇!
「バロン先生は、ウエスタンに執着があるんですか?」   「子供の頃から西部劇が好きでね。展示作品にもコマンチっていうのがあるんだけど。
実はこのガンベルト、クリント・イーストウッドからもらったんですよ。」
「え、ホントにっ?」   「ウソです」(笑)

「今日はバロンさんにサインして頂きたいと思い本を持ってきました。『街』
ていう、これデビュー作ですか?」
「デビューっていうよりも投稿して初めて掲載された作品です。18歳ですね」
「マンガも凄いんですが、ストーリーがまたすごいんです。『ほしいなぁ』っていうタイトルなんですが、貧乏な子供がグローブが欲しいなぁって
思いながら歩いていると、道端に一万円落ちている。心温まるお話しなんですけれど、昭和34年くらいですからね、
私の父の給料が一万円くらいだったのですから、一万円が道端に落ちてる訳がない。」
「当時、1万円欲しいって言う気持ちが凄く強かった。相当欲しいという思いのたけの1万円だったのです。原稿料1枚100円ですからね。」



「今ね、ずっとお話しを聞いていてね、新しい一枚絵は、とても重要な事があって、バロン先生がおっしゃったように一発勝負なんですよ。
一枚で息を飲ませたり圧倒させなくてはいけない。絵の気配がくっついてなくてはいけない。マンガは語れるけれど、1枚絵は気配がなくてはいけない。
バロン先生の絵にはそれが感じられますよね。これは昔の人々の言い方で言わせると、流れのものに在るものではなくて
自分の宇宙がそこに出来ることと同じだから、ストーリーは語るわけですが、1枚絵は自分の宇宙がないとできない事だから。」

「その宇宙、宇宙柔侠伝、明治から始まって、昭和柔侠伝、現代柔侠伝、そして宇宙柔侠伝・・・」

「バロン先生、宇宙ステーションで大活躍、一人で出ていこうかって・・・読みたいですね〜」(笑)



↑会場の様子      控室で資料をご覧になる荒俣先生↑

 

荒俣宏先生、ありがとうございました!


 
都築響一氏(編集者/写真家)×バロン吉元 3月5日19:30  聞き手:エ☆ミリー吉元

↓ トークの前には、毎回必ずバロン先生の号令で、バロンヴィ体操〜身体も心もリラックス〜☆

「これはね、バロンサイン、バロンヴィっていうんだけど、小指と人差し指と親指をくっつけます。普段使わない筋を使うんです。このヴィサインは強いですよ。」
「どこで習ったんですか。」
「私の自前、あそこに映ってるロボットタコ踊り、これも私の自前です。やっぱり関節を動かして筋をひっぱる、大事なんです。」
「一日中、机の前に座っているとね、それとここだけの話、私、実はダンサー志望だったんです。踊り子のいるキャバレー、今のキャバクラとは違いますよ。
フランスのキャバレーみたいな、そこのダンサーになりたかったんです。美しくてね。身体一つで踊れるので、ああいうことやって生活できたらいいなぁって。
キャバレー大好きでキャバレーの事だったらなんでも知ってるからね。」

 

前半30分を過ぎてもストレッチとキャバレーの話に花が咲く先生方に焦り始める司会者
その後も、好みの女性のタイプ、茜ちゃん、風吹ジュン、性典映画・・・とどんどんと脱線・・・・・・

「父はずっとフロンティアスピリッツで来てしまっているんですが、今回の展示も、どういう展示にしようかな、マンガの世界かな、絵画の世界かな、
どういう風につなげていこうかなと考えていると、全然こう、分からないんですよね。他に父と同じ世代で、絵画の世界を描こうと思っていた漫画家がいない。
かといって、父はそれをアートだとか絵画だとか、そういう風にあまり思っていないところがあって、
自分が描きたいものを描いていたら絵画になっていた、という感じで、
なんのムーブメントか、どういうグループか、属していないからこそ、一からバロン吉元の脈を語っていかなくてはいけない、
そう思った時に、都築先生をお呼びしようと思ったのです。先生はどうお考えですか。」

「洋画とかマンガとか、全部美術だと思うんです。専門家が思うよりも普通の人の方が分かっているように思いますね。
美術館には行かなくてもマンガを読まない人はいないくらいですからね。」



「僕は都築先生の、本の中にギッシリと詰まってる、お宝、大好きなんです。」

「バロンさんは大人の色気は描かれますけれど、エロって感じはしませんね。」
「俺がエロそのものだから、エロリスト」(笑)


「同世代の友達いますけれど、エロ枯れてしまっている人多いでしょう。」

「枯れてるって思ってる老人は一人もいません。自分がスポットライト当たるのをひたすら待っているのです。
どんなに見た目がしわくちゃのおばあちゃんでも、色気を持っているんですよ。これバロンの哲学。」(笑)


 

↑ トークの前の打ち合わせ      駆けつけて下さった山田参助先生もご一緒に↑

 

↑搬入作業中のギャラリーにて、取材撮影中の都築先生

都築響一先生、ありがとうございました!



山下裕二氏(美術評論家)×バロン吉元 3月13日16:00  聞き手:エ☆ミリー吉元 


「バロン先生の作品には戦争っていうテーマが、どの作品にも、にじみ出ているんですよ。戦争プラス、学生運動。そういうスタンスが実に正直に描かれていて
僕が先生の作品、素晴らしいなと思うのは、常に等身大なんですよね。あの、エラそうじゃないのね。威張ってたりへりくだったりしないっていうのかな
常にご自分がやられてる事を等身大に表現されているというのを凄く感じる」.

「父の作品をずっと見続けてくださっている山下先生にご登壇頂けたのは本当に光栄に思っております。」

「こうやって、マンガの原画とキャラクターアートを並列するという意図が、この展示を見て、良くわかりました。バロン先生の全体像が見えてくるみたいなね。
脈脈脈っていうタイトル、ちょっと謎めいていていいなと思いましたよ。」



長きにわたってバロン吉元のマンガ作品、絵画作品の両フィールドを見続けて下さっている山下先生、打ち合わせにも熱が入ります。

「バロン先生はつくづく思うけれど、本当に生まれ持って絵を描く才能にこれほど恵まれている人って、なかなかいないと思うんです。
しかもある意味、こだわりがない。これほど幸せな在りようってないんじゃないかと思うんです。それはやっぱり・・・」

「良く遊び、良く学ばない〜かな」(笑)



↓先生もご一緒に、体ほぐし心ほぐしのバロンヴィ!



「長沢セツモードセミナーでね、デッサンの最中に長沢先生が、私の絵を観てね、これだよ、これがファッションイラストっていうもんだよ、
みんな観ろ〜ってね、学生が私を取り巻いてね、その時は本当にびっくりしたけれど。」

「長沢先生もびっくりされたんだと思いますよ。でものちの売れっ子になってからの劇画しかしらない人は、
若き日のバロン吉元が、実は長沢セツと重要な接点があっただなんて、驚かれる事実かもしれないですね。」


 

↑セツモード時代のスケッチ画を観ながらバロン絵画の魅力を語ってくださる山下先生     トーク終了後も和やかなひと時でした↑


山下裕二先生、ありがとうございました!



 山田参助氏(漫画家)×バロン吉元 3月20日19:30  聞き手:エ☆ミリー吉元

「今日は、バロン先生のマンガを読みながら、気になるコマをいろいろと拾ってまいりました。顔行きますー物凄いデザインですよね!
(モニターに映る映像に大爆笑)
回り込みのできるキャラクターと回り込みのできないキャラクター、キャラクターの共存、キャラクターの多さ、
同じ空間に特にそれを笑わせようという意志でもなく、そういうキャラクターがいるというのがバロンマンガの凄い驚きです」


「バロン先生の描く男性の横顔の輪郭の線、眉毛がつながっているじゃないですか、こういう風に描く漫画家って凄く少ない。」
「ふぅ〜ん」
「で、絵描きの感覚からすると、眉毛と輪郭が離れていると、照明がたくさんあたっている感じがするんです。白っぽい画面になるわけです。
これがつながるだけで、画面の黒味がぐっと増すんですね。」
「ほぉ〜素晴らしい」
「劇画的に有効な表現の一つだと・・・」
「びっくりしたなぁ〜 おれ、そんなの全然考えてないよ。参助さん深いね、凄いよ。」」

「バロン先生、これ柔侠伝の駒子ちゃんなんですけれどね、このローライズのロングスカートっていうのがね。」
「駒子には、中原淳一のスタイルが入ってるね。中原淳一の顔とセツモードセミナーに通っていたころの、長沢セツ先生のスタイルがね
そのまんま表現されているね。」

バロン先生、柔侠伝の中で、駒子の別れのシーンみたいな所で、酢昆布がツンとしみちゃったのっていう、セリフあったでしょう。
別れのシーンと愛の告白が一緒になっているんだけど、涙がでちゃって。」

「これね、たぶん男の感覚だと思うんだよね。今見ると、これね、やっぱり俺が泣いているんだよ。自分自身なんですよね。」



「劇画というくくりで、70年代や60年代も振り返る時に、現代、劇画という言葉にある種の、時代限定みたいな感じてしまって
敬遠する読者もいるのかなと思うんですけれど、やはり劇画という言葉は死んだのかもしれないと思っていて、それをもう一度読むためには、
一度途絶えたものを、もう一回、勉強し直さなければならないと思っているんです。
バロン先生の作品なんかはまさにそうなんですけれど、その時代のムードとか匂いがぎっしりと詰まっていて、
ただただ丸投げに70年代の物を読んで全部わかるかっていうと分からないわけで、
そういう説明を、作家本人である先生からも話を伺ったりしたいし、そういう事を研究する人が出てきて、そういう事も踏まえたうえでの
評論みたいなと一緒に読み解くみたいな、なされていくととっても良いのではと思うのです。」



山田先生は、ご自身の回だけではなく、何度も打ち合わせや取材に足を運んでくださいました

『どん亀野郎』のファンだっていう女性から手紙と写真を頂いて、和服でこんなに美しい人が俺のファンなんだってね、嬉しくて
みんなに見せびらかしてドキドキでね、そのあとね、手紙を読んだらね、オカマだったんだですよ。」






全4回のトークイベントの千秋楽を、賑やかに楽しく終えることができました。


山田参助先生、ありがとうございました!



ご登壇頂いた先生方、お越しいただいたお客様方、そしてスタッフの皆様

本当にありがとうございました!