天駈ける異界闖入者

 
バロン吉元、改め、龍まんじ、とのつき合いは、平成元年(1989年)にさかのぼる。もう12年も
前のことだ。
 誘いは、ある出版社からかかった。角川書店からだったが、長編コミックの『親鸞』をバロン吉元に描
いてもらう。ついては、原案を考えてくれないか・・・・・・。
 私は驚いた。そのころ私はバロン吉元の名をうっすら知っていた。彼の描いたマンガもいくつかみてい
た。しかしそのバロン吉元といっしょに仕事をしようとは、つゆと思わなかったからだ。
 おまけに、マンガの主題が何と『親鸞』・・・・・。
 時代が、そのように動いていたのだろう。昭和天皇が崩御し、美空ひばりが逝った年だった。
「昭和」が終り、「平成」が始まったばかりだった。新しい親鸞とともに、見当もつかない時代の幕が
あがる。そんな気分だった。
 そんなあれこれを語りながら、バロンさんと祇園で飲んだ。かれのなじみの女将がいて、日ごろ能の仕舞
に打ち込んでいる人だった。そのためだろう、ちょっと近寄りがたい、気品をたたえた人だった。
 けれどもわれわれの話は傍若無人だったような気がする。親鸞を酒の肴にして、破廉恥な放談に及んだ。
鹿児島弁丸だしのバロンさんの哄笑が薄暗い天井にこだましたが、眼前の女将の表情が微動だにしなかった
ことを、奇妙なことにいまでもよく覚えている。
 私の遅々とした原案作りを、まさに追い立てるようにバロンさんの原画がとどくようになった。あとから
あとから、凄まじい勢いで、東京から京都の私の家まで送られてきた。
 筋書きの部分と、クライマックスを強烈にクローズアップする部分が、交互にでき上がっていった。スト
ーリー部分は、私の荒削りな構想に豊かに肉づけし、手に汗をにぎるミステリー仕立ての物語に早替りして
いく。書くことの無力と描くことの迫力という、ただ座視しているほかない対照性を、これほど痛烈にみせ
られたことはなかったような気がする。
 親鸞は知られているように、鎌倉時代のもっともパワフルな宗教のヒーロー。90歳まで生きた頑健な肉
体の持ち主である。精神も強靭、肉食し妻帯して自由奔放に生きた思想家だった。
 そのような人間をつくりあげたのが、青春の20年だったと思う。かれは父母に死に別れ、9歳で比叡山
にのぼって出家した。以後、29歳で山を降りるまでの20年間、山の上で人生修行の生活を送った。この
苦難の20年が親鸞という人間をつくった。この20年がなければ、のちの親鸞は存在していなかっただろ
う。
 そんな話し合いのなかで、われわれの仕事は親鸞の人生における青春の20年間に集中するということで
一決した。親鸞という人間の可能性がそこに充満しているはずだという認識で一致したのである。
 ところが面白いことにというか、都合のよいことにというか、その親鸞の青春の20年間について、歴史
資料がほとんど残されていなかった。親鸞の伝記を書く場合、誰しもぶつからなければならない空白の20
年だった。
 われわれがもろ手をあげて快哉を叫んだのはいうまでもない。この20年がまったくの空白のままに残さ
れていたからこそ、われわれの想像力をそこに誰はばかるところなく思い切って投入することができたから
だ。
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