昔、戦前戦後を通じて、“講談社の絵本”が大人気でしたが、その一連の中から、
キャラクターを選んで、一枚の絵として私流に甦らせてみよう、と思い立ったわけです。
「牛若丸」「源為朝」「曽我兄弟」「山中鹿之介」「岩見重太郎」「四十七士」「二宮金次
郎」「木村重成」等々、、日本を代表する御馴染のキャラクターをキャンパスの上に一人
一人装いを新たに表現できたらどんなに嬉しいか。“講談社の絵本”は絵本として片付
けるにはあまりにも豪華で格調高い一流画家の精魂こもった迫力満点の夢の画集でし
た。挿絵の黄金期を築いた集大成と言えるでしょうか。画家も尾形月山、小田富彌、
伊藤幾久造、井川洗崖、須藤重、鈴木朱雀ら、人物画を画かせたら当代屈指の実力を
誇る画匠たち、ただちょっと残念なのは伊藤彦造の名が無いことだけです。なぜ?
ともあれ私は彼らに心酔し、憧れたものでした。そんな強い想いがやがて熟成され、
キャラクター絵画へと育っていきました。
キャラクターを画くからには商業的匂いがついてまわるのは当然の事です。しかしそれ
でもなんとか芸術的に完成度を高めていきたいと願うのは、これはもうディレンマと言うし
かありません。この二律背反を乗り越えるには人景の中へ飛び込み、キャラクターの渦に
巻き込まれながらも人景を自分のものとして捕らえるより外に方法は無いでしょう。
そういえばアメリカにかつてノーマン・ロックウェルという天才的人景画家がいましたっけ。
人景を離れて芸術は有りえません。
私は今、学生と共にあります。若くて、凄くて、いやらしくて、汚らしくて、可愛くて、
憎らしくて、生意気で輝かしい彼ら・・・そんな人景、あるいは雑踏までもが好きになりつつ
あります。
その中に魂を逍遥させ、自由に絵筆をふるう事ができたら最高でしょうね。そんな境地に
夢の中でもいいから浸ってみたい。ところが現実は酷いものです。舵も櫂も無いボロ筏に
乗って人景の大海を漂い、時おり思い出したように両手を使って漕いでみる。堂々めぐりし
ているとも知らずに。
結局私にとってキャラクター絵画はまだまだほんの出発点にすぎません。気合も入りますが、
無駄な労力が多くて肩や腰の凝る毎日が続いております。とは言え、人景にロマンを感じて
いることだけは確かです。ロマンを得んとせばリスクも負え、ですかね。ああ、今日も肩が凝る。
誰ですか?! 「ただ歳の所為だ」・・・という人は。
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