52年前、丹波小学校6年の初夏、私は父と伝馬舟(てんまんこ)を駆って知林ヶ島へ漁に出かけました。
      父は島へあがって釣糸を垂れ、私は舟に残って釣糸と竿からではなく、直に手から垂らしてアラカブを狙
      います。そのうち風が出てきて海が荒れはじめ、伝馬舟は錨を引きずって沖へ流されはじめたのです。私
      はあわてて大声で父を呼びましたが、すぐ声が届く距離なのに、風と波の音で声は掻き消され父の耳まで
      届きません。父は横を向いた状態なので、流されていく伝馬舟に気がつかないのです。
      私はあらん限りの大声を張り上げて、何度も何度も父を呼びました。しかし父は依然として気が付く様子は
      ありません。風はますます強くなり、波頭の飛沫も高くなるばかりです。  
    
      わたしは恐怖の涙を風になぶられ、喉も涸れた頃、ようやく父の眼に流されていく伝馬舟が映ったのか、父
      は矢庭に海へダイブしこちらへ向かって抜手で泳ぎはじめました。距離は約100メートル、父は波の間に間
      に頭をのぞかせながらこちらに向かってきます。いや、本当はそれらしく見えるだけで、舟が流されるスピー
      ドのほうが速いのかもしれません。私の目からは不安の涙が留処なく流れます。

      やがて父が確実にこちらに近付いてくることが分かり、抜手を休めることなく、あとひと掻きで舟に手が届く所
      まで来た時、いつもは無愛想で気難し屋の父の姿が、映画のターザンのように、これほど逞しく、頼もしく偉大
      に見えたことはありませんでした。私の眼からは今度は、熱い歓びの涙がほとばしりでます。
   
      その父はわずか50歳でこの世を去りましたが、父の面影は私の中に常に知林ヶ島といっしょに生きています。
      知林ヶ島は私にとって、日本一の美しい島であり、くそったれの島でもあります。


                                       

    
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